テラ・アーツ・ファクトリー1985−1990の活動

『メタアイランド』写真
 『メタアイランド〜vol.11〜眺めと長雨の間で』
構成・演出 林英樹
SPACE5(早稲田大学6号館アトリエ+屋上)
1988年7月上演
撮影 長山雅夫
写真の無断使用、転用を禁じます。
テラ・アーツ・ファクトリー


80年代のシアタープラン・テラの作品(1986年〜)
解説 『メタアイランド』(1985〜1988) 

この作品は、構成・演出・出演の林英樹が、江東区内を所要で移動していた際、偶然、出くわした建設中のビルの倒壊
事故との遭遇に端を発する。3名の労働者が倒れた鉄骨や建築資材の下敷きになり死亡する事故直後、救急車より
も警察よりも先にそこにいた。やがて救急車が駆けつけ、野次馬が集まり、テレビカメラやTV、新聞社のヘリコプター、
警察官たちの現場整理、それらの過程をまるでテレビ映像のように見ていた自分の、その時の何とも奇妙なリアリティ
の欠如感。そこから始まったのが、『メタアイランド』シリーズ(全11回、11作)で、その際の現実感覚の喪失状況、目
の前で事故現場を見、家に帰ってニュース映像で再びそれを見た時の奇妙な不確実感、を手がかりに映像、メディア
社会の中で、現実感を喪失する身体、を演劇で表現するため、従来の演劇の作り方を捨て、「プレシアター」と初めて
命名した「虚構として閉じない演劇」「ドキュメントと隣接する演劇」の創造作業を開始する。『メタアイランド』は11回に
渡り、連作、上演された。上演会場は早稲田大学6号館アトリエ(SPACE5)とその屋上野外スペースを使用。演劇空
間として室内と室外の両方を使用するのが特徴。

TERRAの林英樹、大塚由美子、滝康弘、塩原徹、河南美樹雄、劇団「自閉症宣言」の磯村哲司が制作、演出、演技
面などの柱となった。強烈な個性を持ったこの面々一人一人の段取りを壊してゆく即興性の強い演技が、「物語」性を
壊しながら、「いま、ここ」の瞬間と空間を作っていった。『メタアイランド』11作品のうち、後半ではワークショップに参加
した早大生グループも参加する。

「メタアイランド」論(丸山隆正)

河南美樹雄 河南はアジア劇場以来のTERRA(テラ)の中心メンバー。演技の中心として、また制作兼デザイナーとして『メ タアイランド』、『イクス』のほぼ全舞台で活躍。カメラ、モニターに同時に映し出される舞台とリアクション。即興的、非演技的(パフ ォーマティブ)演技で貫かれたシーン。

磯村哲司 磯村は自らの劇団「自閉症宣言」を主宰していたが、TERRA(テラ)の共同演出者でもあった。圧倒的に個性的な キャラクターは、一部に根強いファンを持っていた。

丸山隆正 丸山(当時22歳、早大生)は早大劇研出身で、その後、自身の劇団を立ち上げ、演出兼役者、またSPACE5(早大 6号館アトリエ)自主管理運営委員会の代表もつとめた。批評と現場をつなぐ意欲的な連続シンポジウムなどを企画し、シンポジ ウムやレクチャーに招聘した気鋭の哲学者や批評家と対等に議論しあえる俊英でもあった。彼らからも将来を嘱望されていた が、突然不慮の事故で死す。まるで嵐のように我々の前を駆け抜けた。複数の劇団のリーダーもメンバーに入っていたこの時期 のTERRA(テラ)の共同作業者として舞台に参加している。

この時期まで、TERRA(テラ)は早大生、ならびに早大OBを中心にしたユニットだった。下記は早大生メンバー。コミュニケーショ ンが直接性を失い(ディスコミュニケーション)、モノローグが並列化しながら、電話や通信器具によって仲介されてゆくシーン。

林英樹 林は『メタアイランド』シリーズで、構成・演出とともに、中心演技者として、主に即興演技シーンを演ずる。

観客席の中で、観客を直接相手に怪演する磯村。


『メタアイランド』は11作の変奏ヴァージョンを持ち、それぞれ出演者や展開は異なるが、ラストは必ず大量の廃材の山の中に、 林と河南が埋もれる。。。


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