公演パンフレットより


徒然に  ふだんからアンチゴネーへ  
2011年8月24日 林英樹


便利さを追求してはきりがない。
人間、いつの間にか、横着になってしまう。
演劇も同じだ。手作りの良さが出せるのに、何でもかんでも人に頼んで、最近はプロデューススタイルが定着したせい
か、なぐり一つ持ったことのない、平台もかついだことのない若い俳優がごろごろいる。劇団で叩き上げというスタイル
が崩壊し、裏を知らない、表に立つ事しか知らない役者が増えてきた。我慢があるから表現の欲求が生まれる、辛抱と
溜めがあるから表現の強度が高まる、そんなことも関係ない。そして数年して消えていく。また新しい若者が舞台に立
ち、そして消えていく。その繰り返しで、一体、演劇文化の土壌は豊かになって行くのだろうか。考え込むことが多すぎ
る日々。

2005年に若者たちと新集団を作ってから「集団の劇」にこだわってきたが、今回は中心メンバーは裏方に回り、照明、
音響、制作、衣裳、舞台監督、受付などの全スタッフを担当してもらうことになった。一方、ふだん演出として全体を見て
いる小生が舞台に出ずっぱりという状態になり、さっぱり全体が見られない。その結果、かわりに団員が意見を一杯出
してくれることになった。「集団、集団、一にも二にも演劇は集団」とこだわり続け、人材を育てることを第一の目的に上
演活動をやってきたが、結果的にそれが今回の舞台を裏から支えることになった。リーディングの「+」の部分はみん
なの思考の結果。演出・構成案は裏を支えたメンバーの感性と思考が詰まっている。身の丈に合った小屋で、まさに手
作りの舞台。

集団の維持、特に人材の維持は困難を極める。技芸を持つ、技芸を磨く、そのために集団は必要である。しかし、人
(技術)を育てるには時間がかかる。経験が必要となる。継続と組織の維持のために経済が重要となる。近代がめざし
たものとは、生まれた時に一生が決まっている社会からの脱却、努力した者が相応に報われる社会。しかし、現実は
そうはなっていない。せめて芸術や演劇分野くらい、と思うが、演劇を始めてもうじき40年、せっかく技芸や才能を鍛え
上げても、経済事情から継続できない、そういうことの繰り返しに直面してきた。演劇文化の土壌を足元から豊かにし
て行くには現実はまだまだ厳しい。

経済を中心とした競争社会。その先に何を見る?原発事故が契機となって考えるべきことはそこに至るはずだ。人類
全体がそこに辿り着くにはまだ数百年かかるかもしれない。しかし、もう環境はそこまで持たない。21世紀、あるいは22
世紀にかけて、人間はもう少し賢くなる、必要があるだろう。

2500年前に書かれた『アンチゴネー』をいま、「読む」ことの意味とは。
2500年後は想像できないが、きっと、現在の競争・・・資本主義のシステム・・・に支配された状態は克服されているだろ
う。克服されていなければ、2500年後に人類は存在していないと考える方が現実的かもしれない。

日々の生活に人びとは目を奪われ、精神を支配されがちだ。だから、そこから少し離れたところで物を考え、見る人間
が必要なのだ。演劇をやる、見る、聴くとは、そういうことだと思う。


トップへ
戻る