始まりの照明からテラの世界に心が引きずり込まれました。暗闇の中
にぼぉっと浮かび上がる何か。その輪郭を捕らえることができない程
の微かな青い明かりで焦点を合わせようとすると痛むほどでした。そ
れがじわーっとゆっくりと明るくなってゆく。
まるで捕らえがたい人間の心の奥、深層心理を探ろうとするよう
な・・・・。これから始まる舞台は、そういう目には見えない人の心象を
表現するのだと暗示しているような照明でした。
光の檻の中にいる女性たち。長い長い沈黙。止まっている?いや、ゆ
っくりと時間が流れていました。彼女達それぞれの孤独感。
以前に見た作品にも長い長い<間>があるものがありました。この<
間>がなんとも絶妙で、この作品を味わうための集中力と感度が高ま
ります。
拘束着の女。手足を縛られ顔も覆われて何も見えない、思うようにい
かない不自由な状況。ため息がリアルで妙に親しみを感じました。ま
るで日常の自分のため息のようです。不自由な私たちそのもののよう
な気がしました。
その女がやっとの思いで椅子に座る。言虫たちの語り。通常の言葉
の読みではなく、不自然なところで区切られたり、途中でつかえたり、
吃ったりするのが、人間の言葉らしくなく、どこか機械的で、パソコンの
キーで入力しているかのような言葉を連想させられます。特殊な語り
方なのに、とても慣れているというか、上手で素敵です。
掲示板からは、生まれ持った肉体、性、歪んだ親子関係、人間関係
等、変えられない現実や辛く厳しい体験から抱いた"違和感"、"劣等
感"、"憎悪"、"嫉妬心"・・・。満たされない心が浮かび上がります。思
うようにいかない日常、孤独な状態で抱いた負の感情は何処へ向かう
のでしょうか。
非現実への逃避、妄想、他者への恨み・・・復讐心、殺意。負の感情
や言葉が膨張し、それは物凄いエネルギーとなり、舞台から溢れ出て
観客席までせめてきました。そしてそれは雷のように拘束着の女に落
ちて?彼女はぐったりしてしまった。
言虫たちが永田洋子の言葉を語る。記憶が定かではありませんが、
「近代の自我の確立ができなかった」「自分と向き合う事をしなかった」
というような台詞が印象に残りました。それは現代の私たちにも通じる
問題でもあると感じたからです。
連句と身体表現の場面はとても自然で滑らかで、反応がよく、強弱も
あり・・・なんというか、そういう技術がすっかり身についている感じを受
けました。見ていて聞いていてその流れが心地よく、美しいと思いまし
た。
黒いドレスの女達の場面、永田洋子の言葉?を語りながら、花束をむ
しり取る様子は狂気に満ちていました。精神的自立をなしえない者
が、負の感情を抱えやり場を失うと、やがてそれは問題行動、犯罪へ
と形をかえる。「殺せ!殺せ!」と、それは精神的な<死>を意味して
いる気がしました。
(精神的に)死んでしまった彼女(たち)を弔う儀式の後、永田洋子の
言葉が再び語られる。「近代の〜」「自分と向き合う〜」「女性の自立
〜」、彼女が自分を振り返り、大切な事に気付いた時、死んでしまった
彼女(たち)の精神は再生され、息をふきかえした。見えていなかった
物が見えた時、不自由さから解放されたんだ!!これは彼女たちの
話ではなく、私たちの話でもあるのだ!!と思えて涙が出ました。永田
洋子に対しても、死刑判決が出て、肉体は死に向かっていても、精神
が生きかえってよかったじゃないかという気持ちになり、そういう涙でも
ありました。テラの作品で涙が出たのは今回初めてでした。
テラの作品は、どう見るか。どう捉えるかによって自分との距離が変
わるのだと思います。私は、どうやら自分を投影してみているようなの
で、距離がとても近くに感じることがあります。作品の核になっている
テーマのようなものが、自分自身に内在しているものと、どこかでつな
がっている感じがするのです。だから私はテラにはまっているのだと思
いました。
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