挑発する演劇
酒井忠親
(43歳)
試演会を重ねながら臨んだ
新生テラ・アーツ・ファクトリーの第1回公演。
感想を端的に表現すると、題字のようになる。
『ツアラトストラ』にしても『ヌード』にしても
これでもか、これでもかと挑発してくる。
では、何に挑発しているのだろうか。
今回は2作品とも性をテーマにしたものだ。
「女子高生コンクリート詰め殺人事件」や
AV女優の手記をテキストに使っているものの
そこに現れるのはまさに、生身の裸のような性。
自分としてもどちらかというと、
無意識の中にしまっているような自分自身の男としての性。
そこに対して、琴線に触れるような迫り方をしてくる。
公演を終えてテラ・アーツへの好き嫌いははっきりするだろうが、
嫌いな人でも捨て切れない無視できないものを突きつけたはずだ。
その居心地の悪さ、自分としてもできれば隠しておきたい性への挑発。
ストレートに言えば、自分への、その人個人への
激しい挑発自体がこの作品の狙いでもあるかのように。
きっと、林さんは意図的にこの2作品を並べたのだろうし、
「女子高生コンクリート詰め殺人事件」を
『ツアラトストラ』のテクストに持ってきたのも意図的なはずだ。
「ツアラ」の中にさえ様々な仕掛けや意図を隠し、
物語が持つ伏線を置くという手法ではなく、
モザイクのようなイメージのかけらを観客に投げつけて、
お前ら好き勝手に料理せいという、かなり荒っぽく、
観客に媚びることがなく、
ついて来れないのはお前たちの知的水準が低いからだ!!
のような喧嘩である。
それでいて、知的組み立てを自分で構成する楽しみを持つ。
『ツアラトストラ』についてはこれで完成というわけではなく、
変わっていく気がする。
吉永睦子さんのフィギュアを想起させる出番
以外の意外性をもっと望みたい。
滝康弘さんの面白さもあんなもんじゃないと思っていました。
上田祥市さんは1人で舞台を支える力はさすがです。
桑原健さんをはじめとする若手4人の密度の濃さに
集中して稽古してきた力強さを感じました。
公演が終わった後、観客が拍手をしていいものかどうかの迷いが
演劇への戸惑いを露にしていると思いました。
初めて観たもの、体験したことのない演劇体験だったのでしょう。
K.T
(20歳、学生)
強烈だった。
刺激的であった。
学ぶモノが多かった。
作品完成度、集団での完成度
共にかなりの高さを感じた。
『ツアラトストラ』は通しを1度拝見させて頂いた事があったが、
稽古を重ねた事もありより深みを感じた。
わかりやすいが深い。
男性の性に対する「感覚」的行動、
女性をフィギュアとしか考えない、
言葉を持たなくなった若者達。
しかしその若者を産み出した大人達。
「ツアラ」は自分の中にある「男性」
に訴えかけてきて、見たくない心
と無理矢理対面させられたようだ。
『ヌード』は、『ツアラトストラ』と本質的には
つながっているが、「違う視点」
で創られているため一味変わった感じだった。
女性の「感情」的部分かな。
ぬくもりを求めて性交する女性。
人と自分、世界と自分をつなげるモノ
が性交である女性の孤独。
顔を隠す女性達、自分の心のそして、
身体の「大事なトコロ」を隠しているようだった。
フラッシュがたかれると意識は宙を舞い、
劇場の空気と一体化するような感覚を覚えた。
劇場からの帰り道、放心状態に近かった。
不思議な脱力感と共に眠りについた。
Y.K
(20歳、学生)
『ヌード』
―――体に描かれていた模様が、
照明が暗くなるにつれて暗闇の中で
浮き出ているのを見た時、自分の内面を
刺激されているように感じました。
言葉がストレートで、ただただ驚きの連続でした。
自分が見てきた演劇とは全く違うもので、
見終わった後は身体的にも精神的にも目が回りました。
カメラのフラッシュが目に焼きついて
暫く視界に残っていたのも印象的でした。
『ツアラトストラ』
―――シーン2ではそれぞれが違うことを
言っているのに、お互いのセリフ、
動きを意識していて、とてもすごい集中力でした。
授業内でやっているファリファリだと思うのですが、
自分達がやっているのがままごと
のように感じてしまいました。
シーン1で「女はおもちゃのように…」
のセリフが頭に残っています。
女子高生はおもちゃにされて殺されたと思うと、
怒りや空しさや虚脱感だかよくわからない
感情がかけめぐりました。
そして、最後にかかった小泉今日子の曲。
耳をつんざき、耳に入るのを拒否したくなりました。
こんなに音を意識したのは初めてでした。
自分の体、心に起こるすべての現象
(空調の音、体感温度、感情、めまいなど)
がすべて舞台効果のように感じました。
自分の五感を刺激された、すごい舞台でした。
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