2019年12月21日(土)13時〜16時30分
Uko 記(初めての参加)
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今日はどうもありがとうございました!
ワークショップとても興味深くて良い時間を過ごせました。体と思考が一体化した感覚があり、ワークショ
ップ終了後はとても心も体もリラックスしていました。
ワークショップの間、普段発している言葉が全く違う音に聞こえたり、体がその音に反応して動いたり。
音で体が勝手に動く、思考に合わせて体を動かす、私たちは普段の生活の中でどれだけ体を動かすこ
とを我慢しているのか? と思いました。
人はもっと体を使って表現したいのに無意識に我慢しているのではないか?とさえ思うようになりました。
身体で表現する、もっと追求していきたいですね。
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2019年12月21日(土)13時〜16時30分
加藤明美 記
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2019年10月19日(土)13時〜17時
高橋美和 記
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今日は二度目のワークショップに参加しました。
私自身パフォーマンスも舞台も20年ぶりになります。全く舞台からかけ離れた所で生活していたので正直
果たして私に出来るのか? とても不安でした。しかし、皆様はとても暖かく迎えてくれてなんとか手探りで
今回パフォーマンスを考えて来ました。皆んなみたいに抽象的な表現とか作れなくなんかパントマイムの
延長みたいな感じになってしまいました。でも考えてくるのは凄く楽しかったです! 童話と言う事で家にた
またまあったグリム童話の『カエルと王子】を題材にしました。動画見るまでどんな感じで見えてるの
か? 不安でしたが全く見れないような感じじゃなかったから良かったです。
なんとなく考えていたイメージに近く表現出来たと思います。外見で判断しては行けないって話だったけ
ど、友人に話したら、二度もその話にたどり着いたって事はなんかのメッセージじゃないか? って言わ
れ、なるほどなーって思いました。この話前にもお芝居で舞台したことがあり、不思議なご縁です!
次回はまた違う作品で作りたいと思います!
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2019年10月19日 (土)13時〜17時
『白雪姫』の創作メモ 滝康弘 記
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白雪姫を選択した理由。奇をてらって、というのがある。よりによって、白雪姫? と思わせたかったのが
一番の理由。なにごとも掴みが大事。それから、改めてストーリーを確認。魔女が鏡に問う「世界で一番
美しいのは誰?」で一つの閃き。一番病。鼻持ちならない、常に自分が一番でなければ気が済まない、
一番病の奴っているな。周りの人から嫌われている一番病。でも、当の本人の気持ちはどうなんだろう。
一番病気質の自分を受け入れているのか? もしかしたら嫌で嫌で堪らないのかも知れない。そんな自
分を殺したいと思っているのかも。
そこで、最初のシーンは、私が鏡に映る一番病の私を見て、私を毒殺しようと思い立つところから始めよ
うと決めた。
私は鏡に質問する。「世界で一番偉いのは誰?」
鏡は答える「それは私です。」
私は鏡の答えに納得がいかず、私を殺すよう私に命ずる。
ここまでは、というかまだ始まりだけど、取り敢えず決め、あとは「な・り・ゆ・き」に任せた。電車に乗り合
わせた女の子の忠告どおり。
『白雪姫』のストーリーは、森に逃げた白雪姫を七人の小人が見守り、そして毒リンゴを食べさせられた
姫の命を、白馬の王子が口づけすることで助け、二人はめでたく結ばれる。
私が私を殺す滝版『白雪姫』では、姫も魔女も私なのだから、七人の小人も、白馬の王子も、私でいい。
総勢、私が10人。なりゆきに任せた結果、七人の小人は、頼りない、何も決められない大の大人おじさ
ん七人(私)に、白馬の王子はなぜか長靴を履いているし、仕舞いには誰も助けようとしないし、後半は
訳が分からなくなってしまった。
結果、陳腐な夢落ちで着地。最初の出だしの勢いで何とか乗り切ろうとしたが、失速してしまった感じだ。
だが、みんなには私のハッタリ感だけは認めていただいたようで、帰りに寄ったサンマルクの席で、なぜ
か私が、資産家の未亡人を騙す、法に触れないギリギリの詐欺師になればいい、という意見で一致して
いた。
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2019年10月19日(土)13時〜17時
滝康弘 記
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オープンシアター(10月19日)の感想
深刻な場面で、誰も観ていないテレビからバラエティの騒々しい音が流れる。無神経な音がその場の深
刻さを増す。そんな効果を狙った演出を見ることがある。ドラマに限らず、実人生でもある。例えば、絶望
的な境地にあるとき。失意のどん底に落とされたとき。茫然自失。そんな時、知覚だけが妙に敏感にな
り、身のまわりの音がはるか遠くから聞こえて来るような、それでいて物質感(存在感)を伴って耳に届
く。聞くつもりはないのだが、私の中でバラエティの騒々しい音だけが唯一存在しているかのように肥大
化していく。
加藤さんのアンデルセン童話『もみの木』を題材とした動きによる表現は、芽吹く季節「春」と枯れゆく「も
みの木」を対比させ、生命を感じさせる生き生きとした動きから、老いゆく動きに変貌する。自由に体を
動かせない現実に直面する。突然の気づきに愕然とする。そしてゆっくりと衰退してゆくが、自ら生きる希
望を消すことはない。
加藤の演技(約7分)。枯れゆく「もみの木」を動きで表現。1回目は単独で。2回目は珍客が加わる。珍
客は滝と関山。2人は舞台を観る観客という設定。だが、心の声が口に出てしまう。どこにでもいる、舞
台に集中しない迷惑な客。滝は、ここに来るまでの電車の中での出来事を回想している。乗り合わせた
家族連れ。覚えたてのひらがなを披露するかのように、車内広告のひらがなだけを読む女の子。「な・り・
ゆ・き」女の子は何度も繰り返す。滝は、「子どもから教わることがあるねー」としきりに感心する。それに
関山が絡み、話はあらぬ方向へと進む。舞台は1回目と変わらず、加藤が枯れゆく「もみの木」を表現し
ている。
2回目の演技が終了。1回目と2回目の違いを話し合う。高橋さんは、(加藤の)同じ表現なのに違って見
えると指摘。珍客との対比が面白かった、と。まさしく冒頭で述べた、深刻な場面で誰も観てないテレビか
らバラエティの騒々しい音が流れる、あの感じがあったのかも知れない。
3回目は、加藤が珍客の言葉に反応する。基本は『もみの木』だが、所々で脱線する。珍客2人は宝くじ
の話をしている。加藤も途中で宝くじに反応した動きが入る。
4回目は、加藤の動きを滝が模倣。珍客は関山と高橋。珍客の話題は冷凍チャーハン。滝の心境は、
老いる自分(枯れるもみの木)に絶望的な気持ちとなるが、一方で、耳から入る冷凍チャーハンの物質
感(存在感)がどんどん増してゆく。
4回目の演技が終了。これを観ていた加藤さんの感想。「滝さんが、冷凍チャーハンの粒に見えてき
た。」加藤さんは、滝の動きより心境を観ていたのか。いや、2人の話から表層的にそう見えたのだろう。
だが、その表層は深層(滝の心境)と何が違うのだろうか。
同じテーマで、さまざまな組み合わせで計4回。途中の段階で意見を交わしながら、演者の動きや観てい
る側(観客)の見方も変化する。何が正しいのか間違いなのか、正解はない。心と物の不可思議な体験
から、疑問だけが増え続けてゆく。
観られるとはどういうことか?
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2019年9月21日(土)13時15分〜16時30分
加藤明美 記
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今回に向けての課題は、それぞれが選んだ童話を題材にパフォーマンスを考えてくるという内容だっ
た。
はじめに、fメソッド基本運動後、身体をほぐしながら動きの変化によりどのような声が出てくるか試して
みる。
@二人一組になり、言葉以前の身体から出る声と動きによる即興コラボレーション。
<関山×加藤 酒井×高橋>
私は、考えてきたパフォーマンスが童話『もみの木』の中のもみの木として身体から出る声と動きで即興
で生きてみる、だったので、そこから入ってみた、しかし時には介入してくる関山さんの声や動きが私の
身体内部に新たな出来事を起こし、思 いがけない方向へ展開していった。お互いに戯び合っているよう
な感覚がとても愉しかった。
A 語りと身体の声(動き)による即興エチュード。
a.関山/身体の声
加藤/語り(アンデルセン『もみの木』)
関山さんをもみの木と想定しストリーテリングをしてみた、相手の存在、身体の動きや声などに、私の中
の変換装置のようなものが触発されて語っていたように思う、語りの声の質や喋り方も変わっていった。
b.酒井/身体の声
関山/語り(民間伝承『三匹の子豚』)
関山さんの語りは『三匹の子豚』を題材に考えてきたパフォーマンス、しかし酒井さんの声と動きを受け、
思いがけない声や言葉が身体の中から出てきたと、彼女は言っていた。
c.加藤/身体の声
酒井/語り(オスカーワイルド『幸福の王子』)
私は、街の中に立っている王子の像としての身体の声から入ってみた、酒井さんのストーリーテリングに
影響され動いているうちにいつの間にか得体の知れない生き物に変容していたようだ。 酒井さんはツバ
メとして語っていたそうで、 私が見ているものと他者が見ているものは異なるのにこうして誘発し合いな
がらその間に新たな出来事が生じている現象がとても不思議に思える。
B酒井/『幸福の王子』を題材にパフォーマンス発表。
これを他の三人が見て感想を語り合う。
酒井さんが壊れていく。
酒井さんが王子様に見えた。
剥がされていく体、
自己犠牲の愛、
最後に残った心臓だけが見えた。
などなど…。
その後、即興セッションを試みる。
加藤/ストーリーテリング
酒井、関山、高橋/身体の声と動きの応答。
私が語り出すまえに、ある時はそのあとに、童話の中の登場人物に見えるような人たちが、「マッチ売り」
の女の子や病気の男の子、青年の作家、そして王子とツバメ、民衆、のように見えるものが、一人また
一人と現れては消え、消えては現れて きた。それを見て何かを感じると同時に呼応しながら語っていた
ように思う。
この体験は、目は楽譜の音符(三人の声と動き)を追っているのに、指(言葉)は鍵盤の上を勝手に動く、
あのブラインドタッチとなんか感覚が似ているなぁと、後でふと思ったりした。
新たな参加者も加わり、ほっこりした気持ちになったオープンシアターだった。
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2019年8月31日(土)13時〜17時
滝康弘 記
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「感想」を書いてみました。
リラックスしながら集中力を高めていく。声や周りの動きをあるがままに受け取り、余計な意図を混ぜず
に反応する。自然体。身体は場となり、媒介(メディア)となり、言葉となる。舞台に立つ身体とは、まずは
「開き」すべてを「引き受け」そして「起つ」ことなのだろう。
テラWSの作業では、身体を「開く」ために、具体的な仕掛けを用意する。8月31日のWSのテーマは「声か
ら言葉へ、語りから声(動き)へ」。無形から有形へ、さらに有形(意味の発生)から無形(無意味化)へ、
変容する身体を捉えるための具体的な仕掛けが用意された。
まずは、言葉以前の意味をもたない波動のような声(ときに沈黙)を発する者が指名される。そして、もう
1人。その声を手掛かりに、即興的に言葉を吐き出す者が指名される。そして2人によるエチュードがは
じまる。互いに相手の音声、言葉、動きに意識を集中させる。あるがままに反応することで、両者の自意
識は薄れ、何者かにつき動かされるかのように、徐々に、ある時は加速度的に両者の意識は変容して
いく。声を発する者は、語り手の言葉(意味)を再び声へ還元(無意味化)することで、身体の位相はさら
に深化する。一方、語り手は、考えながら話すといった主体的な語りが難しくなり、次第に「言葉」そのも
のが主導権を握るようになる。私でなく「言葉」が、言葉そのものが言葉を話しているかのように。行き先
を失ったとしか思えない「言葉」の連なりが、私から離れて揺曳する。深化する声と表層を漂う言葉。そこ
にあるふたつの身体は共振しながら、声(無形)言葉(有形)と化す。
今回のWSでは、声と言葉(語り)を仕掛けとしたが、身体を「開く」ための仕掛けは多様にあり、これまで
のWSでもいくつも試みられてきた。時間、記憶、物語、童話、イメージ、概念、空間構成などなど。これら
を切り口に、身体の現象(無形から有形、有形から無形へ)を自覚する作業を繰り返してきた。
これらの作業の先にあるものとは何か?
それは「起つ」ことである。蜂起、勃起、縁起、決起、奮起、想起、躍起、突起、起立、‥兎に角なんでも
いいから「起つ」ことなのだ。テラのWSの作業を見れば分かることだが、「起つ」その主体は、私という一
人称でないことは明らかである。では誰? それは次回まで、しばらく考えてみたいと思います。
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2019年8月31日(土)13時〜17時
関山ゆみ 記
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8月31日のオープンシアターは、声と語りを使う実験的な表現創作をじっくりと行った。
滝さんと酒井さんの声のやつで一番感じたこと、昔々のシャーマン、祈祷、呪術というような、言葉が生ま
れる前はこんな感じで祈りを捧げていたのかなと。
自らが加藤さんとやった声のやつは、いつの間にか私自身が加藤さんとの掛け合いが凄く楽しくなってし
まっていて、加藤さんの心の声、うるさいっていうのも受け取ってたのに、聞いて、ねえ、聞いてって、まる
でアマゾンの動物になってしまったよう。
酒井さんとの声では、先のやり過ぎを内省しつつ、酒井さんが発する音にどのような感情が込められて
いるのかを探る。その音を聞くと、今度は私はどんな声が出したくなるんだろうか、自分から勝手に出て
いく音声を確認する作業もまた楽しい。
後半は滝さんの語りに操られるような感覚に。私の発する感情の音は滝さんの内部を動かすことができ
ただろうか。ある日常に発生するのほんの一瞬、コンマ何秒かに生まれる隙間の中に、滝さんの言葉が
紡ぐ物語が埋めていき、それを大切に膨らました作業となった。
酒井さんとやった私が語りのやつでは、私の中の小学生の女子が酒井さんという先生で遊んでしまっ
た。語ることは声を発するだけとはもちろん違う。その時に発生する感情の上に、脳の中で物語の構成
を組み立てる作業が必要性がある。声だけの時とは使ってる脳が違う感じ。
この日は声と動きから始まり、最後は滝さんの語りを受けて、各自の世界を展開。観客の目を意識した
作品作りを自分に課して動いた。全てが即興なのだが、その過程にはそれまでの一つ一つが積み重ね
られていく。
脳の活性化を感じる時間。
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2019年8月31日(土)13時〜17時
加藤明美 記
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ウォーミングアップは、声帯を通り言葉になる以前の身体から出る息を重視し、動きの変化によってどの
ような声が出るのか、各々試してみた。
次に、それを基に 二人一組になり、身体の動きと声による即興コラボレーション、
<滝×関山、関山×加藤、関山×酒井、滝×加藤、綿貫×滝>
受け身の身体というのだろうか、私は、その日の生理状態、健康状態、その場に居て感じたり、ふと頭に
浮かんだイメージ、などキャッチし易い状態になっていたように思う。音の周波数と脳の関係なのかはわ
からないが、相手の声(音)が大小含めてダイレクトに身体に入ってきた、それを受けた身体内部から感
情のようなものが生じそれを身体がキャッチすると同時に声に変換する、そんな作業をしていたように思
う。
●童話『マッチ売りの少女』を題材に、語りと身体からから出る声による即興パフォーマンス、一人が日
常の現場(職場)に在る状況で言葉でなく身体から出る声を出したらどうなるか、それに対してもう一人は
言葉先行のストリーテリングを試みる。
声を出す側は語りに影響され、語りは声を出す側に触発され物語が展開していく。
<関山:職場でパソコン作業をしている時の身体から出る声。
vs
滝:女の子から貰ったマッチを持っていたために放火犯と疑われる男の語り>
<酒井:職場で授業をしている先生が宇宙と交信している声
vs
関山:小学校時代の出来事の中で恩師に話しかける>
関山vs酒井 即興会話
<酒井:宇宙との交信について考える学校の先生
vs
関山: パソコンで恩師にメッセージを送りながら小学校時代の思い出を話す女性>
言葉になる以前の身体から出る声 その身体を維持したまま言葉先行の即興会話へ移行させてみる、会
話は交わらないが、相手の状態を身体でキャッチし同時に自分の中へ還元し発信しているような感じに
見えた。
語り:滝 vs 動き: 酒井、関山、綿貫、加藤
それぞれの動き手が語り手の物語中に登場する者(物)となってアクティングエリアに入る試み。また時に
は語り手もアクティングエリアに入ることも。
私は焼きそばパンになってみた、語り手の声と時折耳に入ってくる話の内容、皆の存在と動きにより生じ
た焼きそばパンの心の変化と共に空間構成をして動いていたのかなと思う。
後に動画を見たり文字起こしをして感じたのは、語りを受けている四人の動き手の存在や動き、それに
よって生じる空間の変化が語り手のイメージを触発し繊細に物語を変化させているように思った。
語りの内容と四人の動きが呼応しているように見える時もあれば見えなかったりする時もあった。
日常社会ではこのような自己表現はできない、このオープンシアターは、人という動物の本来の野性に
戻り一生懸命全身で考え生きたような体験だった。と同時に心も身体もすっかり浄われたような気持ち
の良さも感じた。
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2019年3月30日(土) 13時〜17時
加藤明美記
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予め仕込んできた各々のネタを基に、フォルム化を使い日常枠から身体を逸脱させての( f メ ソッド)即
興会話。
モノローグに異なった状況の他者が介入すると、言葉にならなかった自己の内面が形を変え、 そこから
新たな言葉が湧き出てくる。また其々が置かれた状況もより浮き彫りに見えてくる。
管理職につかなかった定年退職間近の悩める教員と中高年の引きこもり、見えるモノと見えな いモノ 有
るものと無いもの、平成時代のトンネル、震災で東京移住、縄文弥生の猪兎、そして 次期天皇皇太子な
どなど。
二者一組が二組となり並行して進行する二つの即興会話、そこへ一人また一人と入れ替わり 立ち替わ
り即興会話が加わっていく中で、他組の会話も聴きつつネタとして自分の中に仕込ん でいく。 聴きつつ
ネタとして自分の中に仕込んでいく。
その過程を経てのラストでは言葉を使わず身体表現のみで語る者に別の者が介入し言葉を使って語り
出すというパフォーマンスになった。
前者は言葉を使う語り手の影響を受け身体内部が変容し、後者はこれまでの会話参加者からの情報を
もとに自分の言葉を語り出す。
身体は言葉より多くを語る。
その人自身が其処に確かに居て私は身体の奥深くが動かされるような感動を覚えた。
これは宇宙に初めて現れた一つしかない作品だと思う。
また未知との遭遇をしてしまった。
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