舞台批評

渋井 陽子

まず『ライフ・1』について

オジサンズ最高でした!登場の仕方・舞台の歩き方で、あるひとりの 男が四人の中で異質であることに気付かせられ、もうその時点で笑え る空気が流れていました。前半のひとりの男対3人の男のバトル?最 初はゆっくりと気付かれないひとりの男に対するそれはだんだんあか らさまに激しくむきになりヒートアップ。押し合いへし合いを真剣な表情 でやっているので最高に笑えました。

後半、テラ特有の身体表現に入りましたが、ここからがとても素敵でし た。それぞれに自分にまとわりつく物、自分を縛っている物から解き放 されたくて、あがき、もがいているように見えました。心の闇との格闘 に思えました。「ハアハア」と息を切らして平常心に戻っていくところも 好きです。


短いけれどよく出来ていて、面白いだけでなく、身体表現はやっぱりテ ラだなあ。オジサンズがやると渋くてカッコイイ!!と思いました。女の 子達がやるのとはまた違う迫力がありました。残念な事に4人の動き を一度に見る事ができない場面もあったので、できることならもう一度 違う角度から見てみたいです。本編は女の子ばっかりだったから、オ ジサンズの存在で全体が引き締まり、奥行きと深さが増しているよう に思います。衣装も本編の女の子は皆白で、オジサンズは対照の 黒。ちゃんと関係を考えているのだろうなと思わされる点です。

前座と呼ぶにはモッタイない、何度も見たい、次回も期待してしまう。 そんな作品でした。



『ジュリエット/灰』について

『ライフ・1』から違和感なく始まった。最初にわずかなスモークといぶ かされたような微かな臭い。舞台は戦火の後=『廃墟』なんだろうか

ランダムな?そして無数の『月』、『日付』、『時間』(時間まで言ってい たかどうか記憶が薄らいでしまったが)だんだんとある具体的な瞬間 になっていく。そして無数の無意味な言葉(『短句』というのですね?)

−『無数にある瞬間の連続、積み重ね』の中にある『一コマ、今、現 在、一瞬』−を思いました。又、掲示板などの書き込みの画面を見て いるイメージも湧きました。

短句は無数の『私』の思い。違和感?劣等感?焦り?自身をなくした り、上手くいかない時の自分が抱く気持ちのよう。『体の凹凸がトド』と か自分の中にある劣等感とマッチして笑えました。後ろ向きにしゃが み、目隠しをした女性は『ジュリエット』の象徴なんでしょうか…女性達 の言葉に反応して彼女の魂が覚醒されていくよう。「画面の中の廃墟」 という言葉の後に空気が変わり、この劇を読み解く大切なキーワード なのだと思いました(まだ読み解き中)

今回も四角いスポット(光の檻?)がありました。その中での身体表現 は(私の大好きなところですが)私が見たテラの作品全てに共通してい る大切なテーマ、見せ場のように思います。私には現代に生きる私た ちがそれぞれに持っている不自由さ、容易に脱することができない現 状の中でのあがきに見えます。

走るシーン。何度も何度も全力で何かを見つけて引き返す。私も一緒 に"なになに?"って走りました。やがてひとりの女を見つけて数人で 責めはじめます…何かのトラブル。

今の世の中、小さなことから大きなことまでトラブルだらけ。上手くいか ない事の全てを他者のせいにしがちな最近の風潮を見せ付けて問題 提起しているみたいだ。

誰もがつつがない人生を送りたいと思うなか、情報や、道具に振り回 されて、甘やかされて器用に生きれない。

大切な何かを忘れている現代人。現代の無数の『私』、『ジュリエット』 も器用ではないけれど、ピュアな思いを持っていた。そのジュリエット の言葉は無数の私の声にかき消されてしまい…、渡された包みの中 はの灰はジュリエットの…思いなのでしょうか。




今回で4度目の観劇となりますが見る度にパワーアップしている気が します。

抽象的なものを見て感じたり想像することは自分の中にある物。逆に 自分の中にない物は、想像したり感じたりできないのだから、テラの劇 はある意味自分を映し出す鏡のようなものだと思いました。

今回はオジサンズとスピード感と迫力あるサウンドと照明、映像。セン スのよさと、美しさ、カッコよさで最後まで心臓がドキドキしていました。 時間を忘れて見ていました。色使いや装置がシンプルで、だからこそ ごまかしができない、なのに美しい。独自の身体表現。とても洗練され ている。芸術性の高い演劇…いや、芸術そのもの!どうやって創って いるの?こりゃすごい!と思いました。


脳中でアドレナリンとドーパミンが分泌されたようで、快感が残ってい ます。しかも謎解きのお土産付きで完全にはまりました!くせになりそ 〜!!



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