上演パンフレット(上演資料)より
死者を弔うのは誰か?
―集団創作を始めるまでのプロセス、背景ー
林 英樹
日本は、年間の自殺者が30、000人を超える自殺大国である。それ
自体、異様であり、異常である。自殺未遂者も含めると1日1、000人
がどこかで自殺を試みている。
一部の例外を除いて、自殺者を出した家は、たいがいその遺書や背
景も含めて隠す傾向にある。家族から自殺者を出すことは、親族の結
婚や就職に不利に働くからだ。環境が家族にそれを要求する。家族
が死者の声を記憶から抹消するとき、では死んだ者の声は誰が聞き
届けるのか?誰が弔うのか?
*
20世紀から21世紀に変わる節目の年に私はオランダに滞在してい
た。丁度、オランダでは「安楽死」法案が議論されていた時期である
(2001年4月、同法案は上院で可決し、世界で初めて「安楽死」は合
法化された)。個人が個人の意志で自分の「死」を決めることが出来
る、のである。付け加えるなら、同性結婚法も2000年12月に可決さ
れた。私はこうした法案成立と、オランダで最も重要な価値とみなされ
ている「個人」の自立という考えとの関係、「個人」思想を支える社会的
コンセンサスの歴史背景に興味を持った。オランダの若者たちとパフ
ォーマンス作りの共同作業をしていたため、独立心、自立心の強い彼
らの態度や考えの背景にあるものを知る必要があったのだが、次第
により深く彼らの生活の内部、意識の内部と関わるようにもなってい
た。
オランダ人は「個人」の領域を、たとえ相手が国家でも友人でも会社で
も、絶対に侵犯することを許さない領域、と考えている。社長がプライ
ベートなゴルフのため休日に部下を引っ張り出す、ということはこの国
ではありえない。そうしたことを容認しない共同体を作ってきた。それ
は16世紀以来、オランダ地域の支配国であったスペインに対する激
しい独立戦争、王権からの個人の自立と独立の闘いの歴史から生ま
れたものである。だからはじめに自由な個人の自主的活動(商人が多
かったことに由来する)、そのための共同体(の延長としての国家)、と
いう考え方の順序が、日本の近代国家成立過程とはかなり異なって
いる。そこからもう一度、現在の彼らの個人主義、他者との間合いの
取り方を考える必要が、私にはあった。それは同時に「私自身」を形
成するものを見つめなおし、内省する作業でもあった。集団創造をす
るには、こういう地点からのスタートでなければ、フェアーに相手と向き
合うことができないのだ。
彼らからすれば私は異邦人であったし、しかもたった一人、アジアから
来た根本の思想が異なる人間である。一つ一つの議論や意見の交換
で、互いの誤差を認識し、それを修正していかなければ物事が進まな
い。一緒に舞台を作るには、しかもそれが一人一人の個を基盤にした
集団創造であれば、より一層、こちらが相手を知らないことには話しに
ならなかった。
こうして、オランダで、かの地の若者たちと創造作業を行っているさな
かに、日本から「17歳の犯罪」のニュースが伝わってきた。私の気持
ちは急速に日本に舞い戻ってしまった。もともとオランダに居を移して
活動するつもりで、日本の荷物もみな整理し、二度と帰れないかもと、
親の墓さえ建て直してのオランダ滞在だったのだが、ともかくいったん
日本に戻った。何が気になったのだろうか?何がそうさせたのだろう
か、などと考えつつも考えはまとまらず、とにかく日本社会の基層で何
が起きているのかをもっと知りたい、という欲求が高まっていた。
帰国後、日本不在の時期に起きた「国立二小卒業式日の丸掲揚問
題」の渦中にいた、同小学校を卒業したばかりの中学生たちとの出会
いがあった。私は彼らとある企画で一緒に芝居作り(集団創造)をする
ことを思い立った。こうして彼らの意見を聴きながら、台本を作り、舞
台を作っていく過程で、中学生たちの内面との関わりが生まれた。彼
らとの出会いの中で私が一番印象深かったのは、中学生の家族の多
くがこの事件を忘却しようとつとめる様子だった。幼い「抵抗」の声が、
家族から忘却を強いられる、それを暗黙に要求する環境との関係で
ある。それが契機で、今回の舞台の直接の引き金となる、小中学生
の自殺を呼びかけるサイトとの出会い、があったと言える。そこでは家
族との関係、教師や社会との関係が赤裸々に語られていた。
*
オランダ滞在期に経験した「安楽死法案」、「同性結婚法」成立過程
と、同時期に日本で可決された「国旗及び国歌に関する法案」(1999
年8月、参議院本会議において成立)の二つの違いは何を意味する
のか?死や結婚に対してさえ、個人の意志を第一に考える法案を作
るオランダと、国旗や国家に対する個人の考え方にさえ国家が介入
し、強制しようとする日本。日本は近代国家を作ろうとしているのか、
否か?少なくとも法の次元からは近代市民社会、の原則は踏み外し
ている。
法は国家(権力)のためにあるのか、個人のテリトリーを国家(権力)
から守るためにあるのか。市民社会の原則に基づく近代法の解釈
は、後者である。だから、「君が代」や「国旗掲揚」を必ずするべしとす
る法案は、近代法の原則からはあきらかに逸脱である。逸脱を許す、
社会や政府は果たして「近代」をめざしているのか。
法案を通じた二つの社会の大きなギャップを感じながら、私は法を巡
る議論を中心に据えた『アンチゴネー』(『アンティゴネー』ソフォクレス
作)を思い出し、もう一度、この戯曲や、アンチゴネーを巡る論議(主
に近代思想の世界で、ヘーゲル以降、近代を代表する女性像として
認識されてきた)を調べ直した。アンチゴネーは、国家による人為法と
自然法を巡る対決の劇であり、彼女は国法を犯した罪人として処罰さ
れる(死刑)が、刑の執行の前に自殺する人物である。アンチゴネー
に関しては、近代国民国家形成の基盤としての女性像、というヘーゲ
ルの解釈から、近年はジュディス・バトラーによる、ヘーゲル的アンチ
ゴネー観の否定まで、様々な批評や見解があるが、そこに踏み込む
には紙数も限られているので、別の機会に譲りたい。
*
ともあれ、こうした経緯、背景があって、2004年6月に、『アンチゴネ
ー/血』の集団創作が開始された。「シアターファクトリー」に集まった、
1980年代生まれの女性メンバーたちと最初に始めたのは、小中学
生の自殺サイトの投稿を参考にしながら、自分たち自身で投稿サイト
を立ち上げることだった。「自殺」を、自分自身の問題として取り上げ、
それを対象化しながら作品を作ってゆく。そういう方法を提起し、3ヶ
月ほどの期間をかけて『アンチゴネー/血』は作られた。もっとも、3ヶ
月間の殆どは、自殺サイトへの書き込みに費やされ、あるいは題材に
関する話し合いに終始し、舞台自体はほぼ二週間で作られたものだ
った。余談だが、試演会二週間後の10月12日に、埼玉と神奈川で9
人が集団自殺で死んだニュースが入り、作品とは直接の関係はない
が無縁でもないような、奇妙な感覚に襲われたのを覚えている。
今回の上演版は、2004年に試演した藤野版をたたき台に、自由に
批判し、とらえ返し、客観化しながら再構成したものである。複数のベ
クトルが交差する〈点〉にこの作品を位置づけ、それが観客席でそれ
ぞれの位置から更にベクトルが放出されることを祈りつつ。
テラ・アーツ・ファクトリー公演 2006年9月22日〜24日 麻布die
pratze
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