今回、はじめて岸田理生さんのテクストと真剣勝負をします。
新しい仲間となった新テラ・アーツ・ファクトリー女性メンバーは、ほぼ
『糸地獄』上演当時に生まれた世代です。そして、彼女たちに戯曲を
読んでもらった率直な感想は「よくわからない」。稽古場で実際に理生
さんの言葉を発語してみても、やはり違和感がある様子でした。私は
それでいい、と考えます。理生さんの戯曲を再現するのではなく、メン
バーと理生さんの距離の中で作品を作ってみる、そういうことですか
ら、「一体感」や同化ではなく、違和感を通じてその違和の根元を探り
続けてゆく作業、それが他者としてのテクスト言語との向き合い方とし
て正当だと思うからです。
私自身は、テラの女性メンバーたちと違い『糸地獄』には多少の思い
と思い出があります。1980年代前半期に主宰しておりました演劇集
団アジア劇場のもっとも充実した時期に『糸地獄』は私たちの隣の稽
古場で毎日稽古されていました。
その当時、私たちはアジア劇場の代表作であった『風の匂い・3−フー
レップ物語ー』の再演の稽古をしておりました。座付き作家もしており
ました私は、演劇的修飾を排除した日常口語主体の劇作と、漫才的リ
ズム・テンポと通じる歯切れの良い演出を心がけ、一方隣の稽古場か
ら聞こえてくる声、台詞は何から何まで異質。毎日否応なく「対峙」せ
ざるを得なかったのです。この「声」に巻き込まれたら、私たちの舞台
自体が壊れる、そうした危機感の中での日々の作業でした。でも、同
時に心地よい違和感であったことも確かでした。この感じは「嫌」では
ない。ベニヤ板の薄壁一枚隔てただけで声は筒抜け状態。さぞ理生さ
んたちも私たちの稽古場の隣で稽古しづらかったのではないかと想像
します。
ということもあって、今回は理生さんの言語テクストを相手にしながら、
逆にアジア劇場時代の感覚が多少蘇り、懐かしさも個人的にはありそ
んな感触を楽しんだりもしています。むろんメンバーはそんなことは知
ったことじゃあない1980年代生まれ。稽古場では相互のギャップを
劇構築作業の中に更に取り組んでいく試みを続けました。
驚いたことは、普通に上演すると2時間を越える本作品が、手直しし
たら1時間に圧縮されてしまったことです。こうやって一度テクストをシ
ンプルに改作しそれを元にメンバーとプランニングや実験試演を重ね
ながら再構築し、同時に再構成してゆく作業、それが今回の『マテリア
ル/糸地獄』となっております。
戯曲はベースにありますが、テラ・アーツ・ファクトリーになってからの
基本創作態度である「プリミティブな歌舞劇」(歌も踊りもありません
が、歌と踊りの発生の根源、身振りとリズムへと向かう欲望と重なる位
相で演技を再創造する)として消化し、また「集団創作」によって戯曲
を参照しながら上演者自身の態度を作品に反映させる原作の「解体と
再構築」作業を経ての上演。
もともと完成度の高い、物語性に「すきのない」テクストとの「対決」ゆ
え、かなり悪戦苦闘しましたが、そういう苦戦のプロセスも含めてぜひ
見て頂きたいと存じます。これは、新しい集団を率いて(集団体制での
演劇活動はアジア劇場以来20年ぶりです)、再出発した自分自身に
とっても、避けて通れない「対決」だったと考えています。
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